昨日はfacebook 日本語版の正式オープンを発表。午前中の記者会見には行けなかったんだけど、夜に行われたDEVELOPER GARAGEに参加して、いろいろと話を聞いてきた。最初の予想に反してかなりの人手で最終的には130人にもなっていたとか。すでに日本で開発されたいくつかのfacebook APIを使ったアプリが実演され、この分野も「熱い」んだと感じられた。実際、公開されているアプリは17,000以上もある。
facebookはその前身が大学内コミュニティの形成を行うためのSNSからスタートしていて、学内活動や友人とのコンタクトが簡単にでき、さらに大学間の友人関係を作るという方向になって大きくなっていったはず。facebookはコミュニティ限定なSNSは良く機能するという実例と言えるだろう。
その後あれよあれよという間に成長して、今や7,000万人ー世界第二位のSNSだ。日本進出に期待がかかるのも頷ける。しかし、今回の日本語版オープンで囁かれているのが「実名登録」という部分に対する日本らしい反応だ。そう、facebookは実名が原則なのだ。
日本のインターネットにおける「実名アレルギー」はある種異常なのではないかと最近思うようになってきた。確かに日本のネット文化はニフティなどのパソコン通信の時代から「ハンドルネーム」を使って匿名で行われてきたし(ただニフティでは個人を確定するのは簡単だったため、ここではハンドルネームでも個としての意識があったはず)、実名を出している人が匿名の人に攻撃されるという「実害」も多く、安全性を確保するためにも匿名で良いという世論がある。
しかし最近になって思うのは、この匿名性こそが無自覚で攻撃的な「個」を作っているということだ。例えばどこかのBlogに行って相手のことを罵るとき、実名では書けないことでも平気で書いてしまう。そもそも道徳心が高く、面と向かって相手を批判しない穏やかな国民性を持つ日本人に、簡単にネット犯罪を起こさせたり掲示板やBlogにおける下品な攻撃性を与えてしまうのが、この「匿名」という手段なのではないだろうか。mixiで散見される「犯罪行為を書いて特定されて炎上」なんてのは良い例だ。匿名性は「自分じゃない自分」を作り出し、その自分はネット上で何をしても許されると考えている。どこにいても自分は自分。書いたことには責任を持つ。そーいう自覚がないから問題が起こる。
俺もつい最近まではプライバシーを守るためには匿名性もやむを得ずと考えていた。でも自分の書いたこと、言ったことには責任を持たねばならないと思い始めてから、いっそのこと日本のインターネットはすべて実名にすべきなんじゃないかと思っていたりする。
実名性にするだけでネット上の犯罪は激減するだろう。俗に言う「ネットイナゴ」もいなくなる。日本人はその点非常に道徳的な国民性(「恥の文化」とも言える。「お天道様に顔向けができない」ってヤツだ)を持っているので、自分の名前を出してまで悪事を行える人は多くない。無責任な発言も減るだろうし、特定された「個」という相手と向き合えることで、インターネットが真の意味でのコミュニケーションツールになってくるんじゃないだろうか。
そーいう基盤としてのfacebook、あるいは最近のData Portabilityという動きには注目している。どこかのプロバイダや機関が「この人はこーいう人だ」ということを証明できること、そのデータをどこのサイトでも使えること、つまりインターネット上の「個」の確立こそが、Data Portabilityが目指すべきところなんじゃないかと思う。
#基本は「どこにあろうと自分のデータは自分のものだ」というものなんだけど
ネットの匿名性こそが、日本の道徳を破壊するものかもしれない。日本ならmixiあたりがその辺に真正面から取り組んで、ネットの個人証明書としての機能を持つと面白い。
そしてこれらの取り組みが、今問題になっているネット規制の問題にも影響を及ぼすはずだ。ネットの実名性こそが日本でのインターネット問題の多くを解決するものになる可能性は高いと言えるだろう。